蝉と禅
ここは宮崎。
先週、梅雨があけここ数日、蝉の声が賑やかになっております。
さてタイトルの蝉と禅
部首を省けば「単」の文字が入るというため
なにか共通項があるのか気になり調べた。
結果は「ゼン」という音読みくらい
「単」という文字の意味は
[音]タン(呉)(漢) [訓]ひとえ[学習漢字]4年1 ひとえの着物。「単衣(たんい)」[名のり]いち・ただ[難読]単衣(ひとえ)
蝉と禅についてはいろんな方も気になる様で法話もあった。
ほんの小さな体の響鳴管を力一杯響かせ、大きなスピーカーに負けずと周囲の物には目もくれず只管鳴き尽くしている姿には、頭が下がります。
そう言えば禅語の中に、「寒蝉古木を抱き、鳴き尽くして更に頭を廻らさず」とありました。蝉の一生というのは、土中で数年、地上で数日と言われるように短いものです。
私たちのように七十~八十年ぐらいは生きることが出来ると、一日の中の数時間といっても無駄ではないと思いがちです。何をするにしてもまだ時間は十分にあると思ってしまいます。
他人や他所事にとらわれずに自分のやるべき事を一生懸命にやりなさい。生死事大 無常迅速 時不待人 謹勿放逸と、教えられているようです。蝉は、禅に通じているのでしょうか。
http://rinnou.net/cont_04/myoshin/2006-09.html
そう。
蝉も禅もただひたすらにその命を尽くす。
そこに理由はいらないだろう。
冒頭の「単」という漢字の意味合いはそういう事なんだろうな。
また一つあの煩い蝉達が好きになった。
煩蝉よ 今日も鳴け鳴け 天高く(拓峰)
あっ、とんびの歌っぽくなったね